牛  若  丸   

K21
(昭和51年〜平成12年)

 たまたま岡本造船に行ったとき6メートルクラスに比べてトランサムの大きいハルを見つけた。k21だった。このハルを使ってまたレイズドデッキの艇を作ることにした。
外回り、キャビンとも前艇とほとんどおなじデザインにしたが、今度はケヤキを多用した。「北斗」の影響がかなりある。おかげでかなり重くなってしまったが木造艇と変わらない居住性に満足した。
 艇名はせっかく真鍮で作ってもらった前艇のものがもったいないのでそのままつけてしまった。この艇には約25年乗った。
家族のほかに長男の学生仲間、職場の同僚がきていつも賑やかだった。
普通、自艇の帆走はなかなか撮れないが、このフネは一番写真が多い。
ほとんどが現役時代一緒に仕事をした元時事通信写真部長の稲田さんが撮ったもの。
撮影には釣りの師匠でもある峯尾さんがモーターボートで協力してくれた。

牛若丸Uの"船首像"

赤旗が出ていた日で漁船もヨットも
いなかったのに隣のマリーナから
出てきたスカンピ30が撮ってくれた。



キールの下に100キロの鉛をつけたら
かなり腰が強くなり走りやすくなった。
葉山ボートサービスで工作してもらったが大変具合がよく、このフネをなかなか
手放せない原因になった。